半生菓子のリーディングカンパニーである天恵製菓(長野県豊丘村、片桐義宣社長)は7月15日、創業100周年の記念式典を、地元飯田市座光寺の「エス・バード」で、来賓や社員を含め約180名を招き挙行した。
記念式典で挨拶する片桐裕会長(写真上)と下平村長(写真中)
飯田市を中心とする南信エリアは、江戸期の茶の湯の伝統があり、明治から大正期には養蚕業の隆盛とともに、菓子作りも活況を呈してきた。戦後は『栗しぐれ』の大ヒット以降、菓子製造は機械化が進み、同地産業の柱の一つとなり、今日、半生菓子製造のメッカと目されるようになった。
天恵製菓の創業の原点は、大正12(1923)年2月に『はぜおこし』で創業した田島屋菓子舗だ。現社長の曽祖父牛太郎氏とその長男の忠一氏が創業者である。
大戦での中断期を置いて、戦後間もない昭和21(1946)年に、芋飴など代用菓子で再開し、同24年の統制解除にともない生菓子を製造。同27(1952)年に、生菓子から量産の半生菓子製造に転じ、同年9月に田島屋製菓有限会社設立。同34年株式会社に改組。
順調に発展の途を進んでいたが、同34年に労働組合結成と当時会社の中核を担っていた片桐盛孝専務(片桐裕現会長の兄)の急逝が重なり倒産の憂き目を見た。
その後、同41(1966)年7月、再興に向け邁進した片桐裕現会長(社長の父)が代表取締役となり、天恵製菓株式会社を設立し今日に至る。
創業百周年記念式典で裕会長は、曲折の歩みを顧みながら「涙が出るような経験をしてきたからこそ、今日の、大きな喜びになりました」と、感慨を込め、100年の大きな節目を迎えたことへの感謝の意を表した。倒産からの回生を果たし、晴れの舞台に立った会長は、今日は次の100年に向かう大きな節目とし「地球を腹の中に入れて歩くような大きなビジョンを持ち『幸せの創造』を目指して進んでいこう」と、高らかに呼びかけた。
因みに『幸せの創造』は、第5工場前に、設けられた創立100周年記念碑に刻まれ、周年記念誌(写真下)のタイトルにもなっている。
来賓として出席した下平喜隆豊丘村村長は「飯田の食文化に根差した企業として発展し、100年の節目を迎えられたことを、心より嬉しく思っている。今後、リニアや三遠南信道の開通で未来のある飯田下伊那の将来に向け、伝統文化を背負った天恵製菓さんには、さらにおいしい商品を作り、世界へ発信していって欲しい」と、エールを贈った。