トップインタビュー 丸彦製菓株式会社 代表取締役社長 山田邦彦 氏 連載①(全5回)

日光から世界に挑む!

 もちとうるちの総合米菓メーカーとして知られる丸彦製菓。2019年12月、3代目社長に就任した山田邦彦氏に、コロナ明けの今後の施策について聞いた。

   コロナ禍の社長就任

 栃木県日光市に拠点を置く丸彦製菓は、素材の特性を活かす技術力で定評がある。創業当初から国産米100%使用を堅持し、地下70mから汲み上げる日光の名水によって作られるせんべいとおかきは、その質の高さから「北関東の雄」とも呼ばれる。

 2019年12月、父親の山田行彦現会長は満を持して息子の邦彦氏(写真上)に3代目トップの座を託した。

 取材当日、「なかなかできない経験をさせてもらった」と、穏やかな表情で就任直後に始まったコロナ禍という未曽有の3年間を、淡々と振り返った。

 

   製造現場で製品作りも

 山田社長は、機械工学専攻という経歴の持ち主だ。高校卒業後、熊本県内の大学に進学。卒業後は九州にある米菓製造販売会社の「もち吉」(福岡県直方市)に入社して米菓づくりの基礎を学び、さらに経営者の知識を習得するため中小企業大学校に進んだ後、丸彦製菓に入社した。

 3年前の弊紙の取材では、現会長と祖父に対して、「美味しさを求める徹底したこだわりという共通のDNAを感じた」と語った。他社に真似できない美味しい製品づくりこそが、丸彦製菓の命。そう信じ、入社後は製造現場を中心にさまざまな経験を重ねながら、ひたすら製品に向き合い続けた。

 そして、社長交代。それは生業とは別の「新型コロナウイルス」という目に見えない敵との闘いの始まりでもあった。

 

 

日本の花である桜をイメージした、ピンクと淡い紫色の社屋。

緑化優良工場として、2002年に(一財)日本緑化センターから表彰を受けた。

 

   マスクを輸入し対応

 社長に就任した2019年12月は、中国・武漢で報告された原因不明の肺炎が「COVID-19」と名付けられ、新型コロナ感染症の拡大のタイミングと重なる。瞬く間に世界中に感染が拡大し、4月には緊急事態宣言が発令されたことから「一億総マスク時代」が始まった。

 スーパーやドラッグストアの店頭からマスクや消毒液が消え、価格も高騰。これまで当たり前のように製造ラインで不織布マスクを使っていた丸彦製菓の状況も、一変した。

 「マスクは工場で働く従業員のために必要ですが、家族の安全を守るためにも必要でした。栃木県の米菓組合に協力を仰ぎ、いち早く海外から輸入できたのは、ありがたかったですね」と、当時を振り返る。

 中小の菓子メーカーによっては、本人や家族の感染により工場の生産ラインのシフトが組めないほど人手不足に陥るところもあった。丸彦製菓でも例外ではない。ただこれまで安全な製品づくりのために行ってきた衛生管理の徹底が功を奏し、クラスターの発生を抑えながら、製造ラインを稼働することができた。

 「手洗い、マスクの着用、手指の消毒を徹底したおかげで、インフルエンザやノロウイルスの発生も抑えることができました」と、当時を振り返る。

 さらに追い打ちをかけたのが、コロナ禍3年目の2022年2月に発生した、大手米菓メーカーの火災事故だ。工場の生産ラインが停止したことにより、受注ラッシュが発生。米菓を製造するメーカー各社は、連日増産に追われた。

 丸彦製菓では生産する製品を10アイテムほどに絞り込み、なんとか生産体制を整えながら殺到する注文に対応したという。「従業員に残業や休日出勤をお願いしないと、生産が追い付かなかった」と、当時の苦境を語る。

 緊急事態宣言が発令された夏から、すでに4年が経つ。「当時の報道では、有識者が感染症の終息まで3年は必要だと言っていました。人の気持ちが前向きになるには、そのくらい時間が必要だったと思う」と、静かな口調で語る。その言葉から、コロナ禍を乗り切った安堵感が伝わってきた。

      (次号へ続く)

〈プロフィール〉

山田邦彦(やまだ・くにひこ)1971年生まれ。九州出身の担任教諭の勧めで、高校卒業後は熊本の大学で機械工学を学ぶ。卒業後は「もち吉」で2年間勤務後、中小企業大学校で経営者としての知識を学ぶ。1996年に丸彦製菓入社。2000年に専務取締役、2019年12月に代表取締役社長に就任。