海外初となるベトナム工場始動
チロルチョコの海外初となるベトナム工場が、今年1月から操業を開始した。5年越しとなった同工場建設のプロジェクトは2019年7月に着工し、2020年6月に完成したものの、コロナ禍の影響を受けて2年以上遅れての竣工となった。それだけにチロルチョコのスタッフをはじめとする関係者の感慨もひとしおだった。そんな現地の模様や新工場設立の背景とともに、ベトナムの最新お菓子事情を交えてレポートする。
新工場の敷地内で開催された竣工式。日本とベトナムの関係者が多数出席
平均年齢31歳!
ホーチミン市郊外にあるチロルチョコベトナム工場(ドンナイ省・アマタ工業団地)の竣工式が、2月15日に開催された。
前日にベトナム入りし、ホーチミン市の中心部にあるホテルに宿泊した筆者は、東京とは20℃以上ある気温差もさることながら、まるでイワシの大群のように切れ目なく溢れ出るスクーターたちの姿にカルチャーショックを受けていた。
ある程度予想はしていたものの、なんだかよくわからないパレードに紛れ込んでしまったんじゃないかと思うほど、次から次へと目の前に現れては消えていくスクーターたち。
逆走や歩道を走るなんてことも当たり前のようで、日本人ならほとんどの人が眉をひそめるに違いない。あわやという車間距離すれすれのところを縫うように走る。脳裏には10年前に行ったインドの光景がよみがえってきた(国民性の違いか、ベトナムはスクーターが主流なのに対し、インドはモーターサイクルが主流だが)。
喧騒と熱狂。車線をはみ出すことなく交通ルールをそれなりに守っている東京と比べると、車線なんてまるで関係ないホーチミンの交通事情は、日本人からすると無秩序な無法地帯に見えなくもない。
もっとも、実際にインドでバイクを走らせたことがある身からいえば、彼らには彼らなりの秩序があったりする(と思う)。たとえば、「前を走る車が何よりも優先」だったり。それに大前提として他車がどう動くか予想ができなければ、それなりの心がまえもできるというものだ。
日本人にとっては、信号機のないそれほど広くない道路を横断するのにも覚悟がいる。車やスクーターが途切れることなく走っているからだ。ちょっとした隙間を狙って思い切って車道に出てしまえば、向こうが避けてくれるのだが。
この感じ、以前テレビのドキュメンタリー番組で見た映像と重なるものがある。1920年代のニューヨーク、1950年代の東京の雰囲気に似ているような気がする。いずれも好景気に沸いた時代である。
その町を知るには「いかに働いて、いかに愛して、いかに死ぬかを調べることである」。アルベール・カミュの『ペスト』のなかの一説だが、筆者はそこに交通事情を加えたいと思う。そういう意味でいうとホーチミンは、自由で活気に溢れている。
ベトナムの政治体制は社会主義だが、1986年に経済の自由化がはじまり、市場経済を重視する方向に走り出した。1995年には東南アジア諸国連合「ASEAN」の一員にもなった。コロナ禍は例外として、ここ数年の経済成長率は7パーセント前後で推移している。平均年齢は日本が49歳なのに対し、31歳である。ずいぶん若い。
スクーターの一群は、そんなベトナムの勢い、好景気を象徴しているように思える。これからの国、という印象を強く受けた。
チロルチョコベトナム工場。敷地面積1万5000㎡、建築面積4053㎡、延べ床面積4623㎡
新しい製品をもっと世に!
ホーチミンの中心部からバスで1時間強。チロルチョコベトナム工場はアマタ工業団地の奥まった一角にあった。大小のビルと迷路のようなわき道でごったがえすホーチミン中心部とは対照的に、イメージとしては日本にある米軍基地のような広々とした空間である。化粧品メーカーを中心に、日本企業の建物も数多く見受けられた。
気温33℃。一瞬にして露出した皮膚をチクチクと細かな針で刺されるような強い日差しの中、テトの式(ベトナムの旧正月)の風俗の一つである獅子舞のグループに出迎えられながら、チロルチョコベトナム工場の正門をくぐる。目がくらむような青空と、この日のために設置された真っ赤なアーチ、黄色く彩られた獅子舞のコントラストが、当日の晴れやかな門出を祝福しているようだ。
竣工式の挨拶に立ったチロルチョコならびに松尾製菓代表取締役社長の松尾裕二氏は、「建物の建築および設備機械の移行が終わっていたにもかかわらず、コロナ禍によって人の移動が困難だったため、2年以上設備設置が遅れてしまったことをこの場を借りて深くお詫び申し上げます」と述べ、関係各者の理解と寛大な対応について感謝の意を表した。
その上で「2年以上遅れての稼働となりましたが、松尾製菓が創業120周年というタイミングで竣工式を迎えられることに、何か運命的なものを感じます」と感慨深げに語った。
チロルチョコが海外初となるベトナムに工場を建設した背景には、2つの大きな要因がある。ひとつは日本市場における課題の解決である。
チロルチョコを製造する松尾製菓の本社工場(福岡県田川市)は、ここ数年人手不足に悩まされてきた。それに伴う製造キャパシティによって、年間の売上やラインアップを絞らなければならない状態が続いている。面白そうな企画があったとしても、生産性を優先してきたと松尾社長は言う。
ベトナム工場はこれらの課題を解決するものになる。ここではチョコレートの成型から包装の工程までを担い、それを本社工場に送ることで、チロルチョコ全体の生産能力を上げていく狙いがある。
ベトナム工場でつくられるのは「ミルク」「ビス」「アーモンド」の3製品のみで、これらはチロルチョコの定番であると同時に比較的作りやすいアイテムだ。それらは100%松尾製菓の本社工場に戻される。バラエティパック/ボックスなどにも入る。そこで生まれた余力を活かし、本社工場では新機軸や技術的に難しい製品づくりに取り組むことができる。
ベトナム工場の存在は、「まずは国内の地盤を固めるため」であり、ただ単に売上を伸ばしたいというよりは、生産キャパの問題でやりたくてもできなかった「新しい製品をもっと世の中に出していくためのもの」だと松尾社長はいう。
(続きは23年春季特別号34頁へ)