ストーリー性で飛躍する‼
米菓トップメーカーが世代交代
国内米菓事業、海外事業、食品事業の三本柱を掲げ、特徴あるグローバルフードカンパニーを目指す亀田製菓。その新社長に2022年6月、生え抜きの髙木政紀氏が50歳という若さで就任した。小学生のときに同社に入ることを誓った思いは、入社してから32年を経ても変わらない。新しい価値創造のために、米菓業界全体の底上げもしたいと語る髙木氏の同社での役割は、「従業員の自己実現を後押しする」ことだという。そう意気込む新社長に話を聞いた。
対面して間髪入れずに上半身を腰から90度に曲げて深々と頭を下げる。その所作は、息を吸ったり吐いたりするみたいにとても自然でいやみがない。
亀田製菓の新社長に就任した髙木氏は、グループを合わせると3500人以上が働く企業のリーダーというよりも、短く刈り込まれた髪や丸顔に眼鏡といったいでたちや、聞き取りやすい明瞭でやさしい口調ということも手伝って、人里離れた村で教師をしている、素朴で率直な親しみやすい人、という印象である。
そんな髙木氏が発する雰囲気、人柄は、今の時代に求められているリーダーの姿なのかもしれない。
市場が成熟し、先行き不透明なご時世では、専制的な運営、トップダウン的なやり方では、間違ったときに取り返しがつかないことになる。持続可能性という意味でも、異なる視点や考え方をいかに活かすかが、企業の運営に限らずさまざまな場面で求められている。そういう流れのなかで同社が新しい時代を迎えるためにも、髙木氏を社長に抜擢したのだろう。
そう伝えると髙木氏は、「たとえそうであったとしても、これまでの業務で私がペアを組んできたのはだいたい先輩方です。その方たちに助けられながらここまで来られました」と、あくまでも謙虚な姿勢を崩さない。
その上で「私から見ると会社でいちばん元気なのは60歳くらいのシニアや入社したばかりの新入社員たち。ですから私たち中間層がさらに盛り立てられるような仕組みをつくらないといけません。経営体制を新しくするというよりも、シニアも若手も融合できて、一緒に戦えるカタチを構築したい。会社の価値を高めていただける人であれば、プロパーとか中途とかぜんぜん関係ありません」と話す。
「従業員の自己実現を後押しする」それが私の役割です
この会社に入ればハッピーになれる!
米菓市場は日本で2700億円くらい。世界でみると6800億円ほどの規模ですから、まだまだ拡大の可能性があります。会社としてグローバル展開をするにしても、国内で盤石の体制を築かないと」と髙木氏は言う。そのためには、自社だけでなく米菓業界全体の底上げが必須だと考えている。「これからは競合メーカーを含めた他社との話し合いも進めたい。そのなかで新しい価値を提供できるような意見交換もしていければと思います」
もちろん、米菓のリーディングカンパニーとしても、亀田製菓はまだまだ飛躍できると考えている。そのために必要なのが“ストーリー性”だと髙木氏は強調する。
具体的には同社の伝統米菓というイメージに沿ったものや、海外展開する自社製品とのコラボ、時流に即した製品をそれぞれのストーリーに仕立てたものになる。そうした提案ができれば価格帯も上げられるはずだと高木氏は意気込む。今年の上半期は定番製品の生産に集中していた影響でかなわなかったものの、下半期以降に向けてストーリー性のある製品を押し出していくという。
そういう意味合いでいえば、髙木氏と亀田製菓の関係も驚くほどストーリー性にあふれている。夢みたいな非常にめずらしいケースではないだろうか。
髙木氏が生まれ育ったのは、同社創業の地である元町工場から、わずか200mくらいのところにある新潟県中蒲原郡亀田町である。
髙木氏が3歳になった1975年、同社は米菓業界のリーディングカンパニーへと成長した。誇るべき地元企業ということで、髙木氏の親類をはじめ、近所のおじさん、おばさんのほとんどが同社で働いていた。幼いころから「あの会社いいよー」と洗脳されながら育ったと、髙木氏は当時のことを懐かしそうに振り返る。
「今思うと彼らはいつも満面の笑顔でとても幸せそうでした。だから私もこの会社に入れば人生がハッピーになるんだと思ったんです。できるだけ早く入りたいと願っていました」
その後、新潟市の小学校に転校したが、亀田製菓への思いは変わらなかった。6年生のときの「ぼくの夢」という文集には、「亀田製菓にぜったいに働くことです」と書いたほどだ。
高校卒業と同時に同社に入社。晴れて幼いころからの念願をかなえたわけだが、この時点でまさか自分が社長になるとは夢にも思わなかった。それよりも恋焦がれて入っただけに、どんなことにもチャレンジする前向きな気持ちでいっぱいだったという。
生産現場からキャリアをスタート。20年ほど経験を積むあいだに田中通泰前会長CEO(現取締役シニアチェアマン)との出会いがあった。その縁で栃木エリアの営業所長に抜擢された。
さらに本社に戻ると、総務人事や経営企画を経て、白根工場や亀田工場の工場長を務めた。以後、総務部長、業務改革チーム部長、取締役営業本部長を経て、現在に至る。
髙木氏は言う。「多くの部署、多くの従業員と接することができました。そういう面で恵まれた仕事人生を歩んできたなあと思っています」
小学校6年生のときの文集。この時点で自分が社長になるとは夢にも思わなかったという
四班体制で稼働率130%アップ
そうした経緯も、髙木氏が社長に抜擢された大きな要因である。手元にある株主総会に向けた髙木氏の資料を要約すると、「さまざまなセクションでの豊富な経験と、中期経営計画達成に向けた全社業務改革に取り組み、業績に多大な貢献を果たした」となる。
その業務改革について直接本人に聞いてみると、何かを思い出したときのように一瞬はにかみながら、「いちばん集中したのは膨大な書類関係の整理と工場のシフト体制です。人を人で補うという時代ではなくなっています。ルーティンワークの帳票などは、ある程度デジタルに置き換えられる。そうやって捻出した時間を工場改善につなげてほしいという思いがありました」と話す。
具体的には、ラインごと、出番ごと、工場ごとに違っていた何十万枚もあった帳票類を、タブレットに置き換えて約半分に削減した。そうすることでいつでもデータを閲覧できるようになり、累積した課題の可視化も進んだ。
他方、工場の勤務は24時間を三交代三班体制でこなすのが基本だが、需要増などで稼働を上げたいケースがある。そこで髙木氏は三班から四班体制にして土日の稼働をスムーズにおこなえるようにした。そうすることで通常よりも稼働率を130%上げることができた。
問題は四班体制だと需要がない時期に固定費がかさむことだ。そこで打ち出したのが、持ち場を移動するというフレキシブルな対応である。たとえば『亀田の柿の種』の担当者が『ハッピーターン』を作りにいったり、『ハッピーターン』の担当者が『亀田のまがりせんべい』を作りにいくなど、スキルの伝承や融合をおこなうことで、固定費の問題を解決している。
髙木氏は言う。「部署は固定するのが一番ラクなんです。でもお客様の気持ちまで固定することはできません(笑)。複数のスキルを持つというのはたいへんではありますが、成果も得られるのでチャレンジしています。フレキシブルな体制にすれば休みも安定しますから」
一般的に資本主義が高度に進むにつれ分業化も際立つ傾向にある。すると働く人ひとり一人はスペシャリストにはなるものの、局所的なことしかわからず全体像は把握しにくくなる。しかしさまざまな業務に携われれば異なる視点も得やすいだろうし、働き甲斐につながるというメリットも生まれそうだ。
ちなみに本社(新潟市江南区)の敷地内にある亀田工場で生産される『亀田の柿の種』のラインは、まったくのサラの状態から、髙木氏が立ち上げたものだ。同製品はもともとは白根工場で生産されていたが、大増産するために亀田工場に機械を導入することになった。その際に選抜された3人の中の1人が髙木氏である。
「まだまだ人手のいるラインもあります。管理付帯設備が多いとメンテナンスもチェックも大変なので、検査機器で補うなど、効率を高めていきたいです」
大好きな会社のためにどんなことでもやりたい!
現在の『亀田の柿の種』の生産ラインの立ち上げ者の1人になった高本氏
人生は一度きり、だからこそ
社長としての使命や役割、抱負について聞いてみたところ、もともとミッションやビジョンは定まっていて、社長になったから何か新しいことを打ち出すわけではないという。「米菓」と「食品」、「国内」と「海外」の2つの軸で支える4つの事業展開を通じて生活者に喜びと潤いを届け、社会に貢献していくことが使命であり、会社のあるべき姿だと。
「そのことを従業員がすべて理解して腹落ちができているかというと、まだまだ温度差があります。海外などグループ全体を含めて、ひとり一人が自分の仕事の意味づけ、ひもづけをしっかりできたときに、新しい価値創造が生まれてくると思います。それができる環境づくりや自己実現を後押しするのが、私の役割になります」と語る。
そうした意思を直接伝えるために、「トップキャラバン」(写真上から2番目)と称して会長CEOのジュネジャ・レカ・ラジュ氏とふたりで、全国の営業所や工場を行脚している…
(続きは22年秋季特別号20頁へ)
プロフィール 髙木政紀 1972年2月11日生まれ
略歴
1990年4月 亀田製菓入社
2014年11月 白根工場長
2017年6月 総務部長
2018年6月 執行役員総務部長
2020年4月 執行役員業務改革チーム部長
2021年7月 常務執行役員営業本部長
2022年6月 取締役社長COO