【トップインタビュー】パイン株式会社代表取締役会長 上田 豊氏・代表取締役社長 上田真弘氏

誰もが知っているアメにしたい!

 2021年に会社設立70周年を迎えた同社が、世代交代。1991年から社長を務めてきた上田 豊氏(写真左)が代表取締役会長に就任し、上田真弘氏(写真右)が社長に。コロナ禍の現状や課題、新体制となった同社の方針、ポストコロナへの思いを聞いた。

 本誌 社長就任の背景を教えてください。

 上田豊会長(以下「会長」) 2020年に、次世代工場が本格稼働しました。設立70周年に関する行事も、2021年に全部やりましたね。

 上田真弘社長(以下「社長」) 私が社長に就任したのは、その年の春です。社内の株主総会で、決定しました。

 初めから、家業を継ぐことを考えていたわけではなくて、私が最初に就職したのはIT企業です。SEとして働きましたが、3年ほど経ったときに、突然、社長(現会長)に呼び出されて「これから、どうする気や」と問われて。それまで家業に就くことは考えていなかったのですが、迷った末に「入社させてください」と頭を下げました。

 会長 私の場合も、飴屋になる気はまったくなかった。学校を出て商社に入ったものの、トラブルがいろいろとあり3年で辞めました。その後、先代に「よかったら入れてください」と頼んでね。私も現社長も、そんな流れで入りました。

 社長 入社後は、社内のいろいろな役職に就きました。取締役工場長に就任したときは、滋賀県の工場まで毎日車で通いました。

 会長 彼が工場長だったのは製造現場でいろいろな問題が重なり、現工場がしんどかったときでした。そうした壁を乗り越えてきたこともあり、今回の社長交代は機が熟したタイミングなんです。

 社長 父親の後任ということもあり、プレッシャーはあります。

 会長 私の評判だって、良いものもあれば悪いものもあります。「出る杭は打たれる」けど、出る杭しか伸びることはできません。「よし、やろう」と思ったら、どんどんやればいい。自己流でいいと思いますね。

『パインアメ』に特化した次世代工場。オートメーション化により、効率よく製造することが可能となった

進化さえ続けていければ

 本誌 伝えたい経営哲学はありますか?

 会長 回収問題(※1)が起きたとき、同業の仲間たちから「パインは潰れる」と言われました。確かに退職した社員も20人ほどいたし、連日回収対応に追われたので、本当に大変だった。ただ、そのおかげで固定費が減って損益分岐点が上がり、過去最高の売上と利益を達成することができました。高収益体制は、今も続いています。

 事業を続けていれば、トラブルはいろいろあります。でも、どんな時も明るく元気に前を向いて仕事を続ければいいと、私は思いますね。

 もちろん頼まれれば社内アドバイザー的な立場の仕事もやりますけど、私の仕事は流れを見ながら、時々現場にカンフル剤を打つことだけ。後退せず、進化さえ続けていけばなんとかなるものです。

※1:2002年6月、アメを型からはずすときに塗るヒマシ硬化油に、食品衛生法で認可されていない添加物が含有していることが判明。人体に影響はないが、同社は自主回収した。

2021年3月3日に70周年を記念した冊子『70周年、次世代をめざして。』を発行した。

『パインアメ』の軌跡を新たな視点で見つめるとともに、未来へ向けた様々な取組みを、

数多くの写真や漫画で紹介

SNSを活用したブランディング

 本誌 最近はSNSやコラボ商品が話題ですね。

 社長 SNSを始めたのは、社員からの提案でした。公式Twitterは、2010年7月からで、フォロワー数は、16万人(※2)を超えています。

 以前は、SNSも別の企業とのコラボ企画も及び腰でした。「売上に結びつかない」とか「商品価値を下げるのではないか」という消極的な社内の意見もあり、『パインアメ』がもつブランド力を、社内で読み切ることができない状況でした。

 そんなときに、社員から企業アカウントの提案がありました。

 当時は、私も含めてTwitterそのものがよくわかっていない。それでも社長(現会長)は「ようわからんけど、とりあえずやってみたら」とゴーサインを出しました。

 いざ始めたら、あれよあれよという間にフォロワー数が伸びていきました。面白いことに、SNSのフォロワー数が伸びるとさらに注目度も上がり、別の企業からコラボの声がかかってきたんです。

 会長 階段を一段ずつ上るように、SNSで人気が広がっていく感じでしたね。私たちから声をかけてコラボ企画を提案することは一度もなかったのに、面白いものです。

 社長 コラボだけを考えて動いていたら、うまくいかなかったかもしれません。SNSを始めた時期など、すべてがちょうどいいタイミングだったと思います。

 会長 デジタルに関する動きは、時代の大きな流れです。私のようなアナログの発想しかない頭だけでは、もう乗り切れません。ペーパーレスの時代だからこそ、これからも若い世代の人たちにどんどん任せていきたいですね。

※2:2022年9月現在

トークショーに持参した扇子は、京都の老舗扇子店で特別にオーダーしたもの。

「楽しい仕事だった」と制作した職人からも好評だった

今年も盛況『パインアメ』の日

 本誌 コロナ前は「パインアメの日」のイベントもありました。

 社長 8月8日を「パインアメの日」として、(一社)日本記念日協会によって認定されたのは、2015年のことです。たくさんのお客様と一緒に楽しめる大きなイベントはまだ難しいのですが、今年もあべのハルカス近鉄本店で、イベントを開催しました。

 会長 当日は、パイナップル柄の黄色いTシャツを着て、京都の扇子屋で特別に作ってもらった扇子を持って、私もトークショーに参加しました。コロナ禍ですが、会場にはお客様もいらしてくれて、本当にありがたいことです。

 SNSでも、たくさんの人たちが草の根運動のように、いろいろな場所で『パインアメ』を話題にしてくれています。私も『パインアメ』のおかげで楽しませてもらって、商売もさせていただいているおかげで、生きていることそのものが、楽しいと感じる毎日です。


パインはPR TIMESのCMに、社長・社員が出演。11月21日まで関西地区で放映されている。

同社がTVCMを放送したのは56年ぶり。ユニークなCMとなっている

日本中の誰もが知るアメとなるために

 本誌 ポストコロナの経営について、どうお考えですか?

 社長 私が工場長だった頃、関東から行政の担当者が工場に来たときに「『パインアメ』を知らなかった」と、言われたことがありました。以前から『パインアメ』の一人当たりの売上は西高東低で、明らかに関西の方が大きい。

 いつかは、日本中の誰もが知っているアメにしたい。その思いは、社長に就任した今、私の中に強くあります…

(続きは22年秋季特別号36頁へ)

〈会長プロフィール〉

上田豊(うえだ・ゆたか)

1949年生。慶応義塾大学経済学部卒。食品商社に勤務後、1974年同社に入社。常務、専務などを経て、1991年代表取締役社長に就任。2021年代表取締役会長となる。

〈社長プロフィール〉

上田真弘(うえだ・まさひろ)

1978年生。神戸大学工学部卒。都内IT会社を経て、2006年同社に入社。マーケティング本部副本部長、取締役、取締役商品本部長、滋賀工場長等を経て、2021年4月に代表取締役社長就任。