半生菓子の新たなフロンティアへ
「メッカ・飯田」できらりと輝きたい
半生菓子で第26回全国菓子博覧会名誉総裁賞を受賞した『くるみ餅』を生んだ丸三玉木屋(長野県飯田市、1940年創業)の木下誠司専務取締役が父親である木下洋亮氏(現会長)の跡を継ぎ、この2月より新たに代表取締役社長に就任した。現在44歳。半生菓子のメッカである飯田市の中で、歴史を刻んできた同社の未来をどう築いていくのか、4代目となる新社長に抱負をきいた。
父の病気を機に継ぐ意思固める
本紙 社長就任おめでとうございます。幼少の頃からお菓子が大好きだと伺っています。
木下 私はここ飯田市で生まれ育ちました。物心のついた頃から工場や事務所を遊び場として育ちました。まさにここで産湯を使ったわけです。もう時効だから告白しますが、時々砂糖をくすねて食べたこともありました。(衛生管理の厳しい)いまなら考えられないことですね(笑)。高校まで地元にいましたが、大学進学を機に上京しました。当時はまだ「会社を継ぐ」という意思が固まりきっていない時期でもあり、情報学部に入り、当時華やかになりつつあったコンピューターの勉強をしました。
―それがどういう変化で「継ぐ」という意識が芽生えたのですか。
木下 在学中に父が体調を大きく崩したことが一つのきっかけになりましたね。宿命的なものを感じました。そこで大学を卒業後、東京製菓学校の夜間部に通い、初めて本格的な菓子づくりの勉強を始めました…
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